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第4回 −心を鍛えるということ−


「心を鍛える」と聞くと、どんなことが浮かんできますか?
どんな連想、夢想、幻想が出てきますか?

「心理学」と聞くと、多くの日本の方はまず「カウンセリング」を思い浮かべ、「カウンセリング」というと、今度は「癒し」「ヒーリング」が浮かぶ。世間にはそんな偏見がどうも根強くあるようで、一サイコセラピストとしては、まったく残念な限りです。私たち心理学者の世間に対する怠慢によるものと反省もしていますが、少しずつでも「心のトレーニング」としての心理学の側面についてもお伝えしていきたいと思っています。

さて、これまで「心のエネルギー」「怒りのエネルギー」「覇気のエネルギー」とコラムを書いてきました。ここから始めたのは、「心は鍛えられるんだ」ということの実感を少しでもお伝えしたかったからです。私たち心を鍛えるサイコセラピストは、心は筋肉と同じだと考えます。つまり、心の筋肉も、使えば使うほど柔軟で逞しいものになるということ。たとえば接骨院などにいくと、「あなたはここんとこのここにばっかり力入れて歩いてるでしょ」なんて言われたりしますね。あるいは、ジムに行って筋肉を鍛えるときも、プロのトレーナーについてもらうと、いかに自分の体がバランスよく筋肉を動かせていないか、そしてどうやったらその使われていない筋肉を鍛えることができるのか、といったことがだんだん掴めてきて、自分の身体を作っていくこと、鍛えていくことの実感が自分のものになってくる。そんな体験ではないでしょうか。

サイコセラピーも同じことです。私たちが自分の心を鍛えるときにパートナーとなる心の専門家がサイコセラピストなのです。心の専門家を雇って心を鍛えるという発想、ぜひ日本にも根付かせたいものですが、これが日本になかなか根付かないのは、もしかしたら私たち日本人の心の生活には「心を鍛える」という発想が、欧米の文化よりももっと当たり前に私たちの価値観の中に入り込んでいるからなのかもしれません。でも、自分たちに根付く宝はいつでも取り出せる状況においておくことでこそ価値が上がるというもの。欧米の文化の素敵な点は、自分たちの持っている宝をきちんと磨き、きちんと表現できる点ですね。このあたりの心の筋肉は、たとえば私たち日本人は使いこなしていないところなのかもしれません。

臨床心理学に関するページはこちら http://www.sporction.com/psycho.html


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